【讀者投書】台湾は最も重要な支持者-安倍晋三を失った

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2015年7月23日の午前中、現役の安倍晋三総理が極秘に李登輝元総統が宿泊していた東京の東急ホテルを表敬訪問しました。安倍と握手していたのは李元総統の娘李安妮女史、安倍の右側は李元総統。(写真は《李登輝訪日秘聞-作者王輝生》より)。その場で李登輝が「冷靜 謙虛 」と「忍耐」の親筆 の色紙を安倍に贈りました。

安倍晋三元首相は、参議院選挙の前夜に奈良で選挙演説を行っているときに銃擊で致命傷を負い、亡くなりました。悲劇的なニュースは世界に衝撃を与えました。常に台湾を強く支持してきた安倍元総理が、亡くなったことを台湾人は心からの悲しみと無限の感謝と敬意を表します。

安倍首相は著名な政治家の家に生まれました。母方の祖父である岸信介と大叔父の佐藤栄作が首相を務め、父の安倍晋太郎は外相でした。

安倍晋三は彼自身、日本の政治の伝説的人物でした。2006年に52歳で初めて首相に就任したとき、彼は第二次世界大戦後に生まれた最初の首相であり、戦後の最年少の首相でした。

彼はまた、平成の時代以来、首相を2度務めた唯一の政治家で、2006年から2007年までと2012年から2020年までの合計3,188日間在任し、日本で最も長く勤めた首相となりました。

2011年に東日本大震災が国を壊滅させたとき、当時の与党であった民主党は何をすべきか途方に暮れていました。国民の怒りは高まり、1年後に爆発して、政権交代となりました。

震災1周年を迎えた2012年の追悼式では、日本政府が海外からの支援に感謝の意を表した際、台湾については全く言及されませんでした。台湾は世界中のどの国よりも多い、最高額の寄付をしましたが、追悼式上で寄付した国の席も与えられず、且つ台湾の駐日代表は舞台で献花することもできませんでした。

この行動は国民の反発を招き、当時の日本の野田佳彦首相は謝罪を余儀なくされ、9か月後、安倍晋三がカムバックし、首相に復帰しました。

安倍晋三氏は、就任後、「三本の矢」の経済政策(財政刺激策、資金のゆるみ、構造改革)を提唱し、停滞した日本の経済を活性化させました。国を訪れる観光客の数は、年間数百万人から2019年には3000万人以上に急増しました。

外交では、米国に寄り添い、台湾への支持を表明するとともに、「首相外交」を推進し、100カ国近くを旅しました。

彼は信念を抱き、日台関係を改善しようとし、李登輝前総統をメンター、蔡英文総統を友人として、台湾の元総統と現総統との友情を築いたと伝えられています。2020年に辞任した後も、台湾海峡の安定を維持する責任を負っています。

安倍晋三氏は昨年末、「台湾の緊急事態は日本の緊急事態であり、したがって日米同盟の緊急事態である」と述べました。4月12日、彼はロサンゼルスタイムズにも投稿して、台湾に対する戦略的曖昧さの米国の政策は時代遅れだと指摘しました。

5月、米国のジョー・バイデン大統領は、東京で岸田文雄首相と会談した後、安倍晋三の見解を認めました。安倍晋三が提案し、バイデンが反響し、岸田が実行、と言う様に対台湾の政策が具体化しつつあるようです。

今年の9月は、日中外交関係樹立50周年を迎えます。中国の習近平国家主席は、昨年10月の岸田文雄総理の当選に祝電を送り、両国が歴史的な瞬間を共に歓迎できることを期待していると述べました。岸田政権は、安倍晋三が台湾、日本、米国の三角関係を再構築したことでジレンマに陥っていました。

現在「影武者」の突然の死後、岸田が安倍晋三の路線を続けるかどうかを引き続き観察する必要があります。

2022年7月10日
日本医療法人輝生産婦人科小児医院理事長
京都大学医学博士 王輝生(大田一博) 敬具。