黄土水の銅像 佐渡から高雄へ里帰り 謝長廷代表と市長が合意

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山本悌二郎の銅像、右は謝大使=佐渡市の真野公園で(写真は謝長廷大使のSNSから)

 台湾の美術史を語るうえで欠かせない彫刻家の黄土水による銅像が、新潟県佐渡市から、台湾(高雄市)に返還されることになった。駐日台北経済文化代表処の謝長廷代表(駐日大使)が7月27日、佐渡市役所を訪れ、渡辺竜五市長との間で合意し、返還が正式に決まった。銅像は戦前に高雄に置かれていたので、里帰りとなる。あわせて「日本新潟県佐渡市と高雄市文化局との友好交流覚書」が取り交わされ、両市は交流を促進させていくことで合意した。取り交わしには王淑芳台湾文化センター長らが同席した。銅像は年内に台湾に運ばれる予定だ。

 台湾文化部(文部科学省に相当)がプレスリリースで発表したほか、大使が自らのSNSで明らかにした。

覚書に調印した謝大使(左から4)、渡辺市長(同3)、王文化センター長(同5)、舞踊家の若林さん(同2)=佐渡市役所で(謝長廷大使のSNSから)

 銅像は、日本統治時代に台湾製糖(現・台糖)の社長を務めた山本悌二郎(1870年~1937年)。同社は台湾で最初の新式製糖工場を設立している。山本は台湾経済の近代化に貢献しただけでなく、台湾の文化・美術の面でも多大な足跡を残したとされている。ダムにも名を残している。台湾南部に日本統治時代に完成した地下式のダム「二峰圳」(二峰は山本の号)で、農地を潤し続けて100年を迎えたとして今年7月、蔡英文総統が出席して盛大な記念式典が開かれている。           

 黄土水は1895年台北生まれ、台湾人として初めて東京美術学校(現・東京芸大)に入学した。著名な彫刻家、高村光雲の門下で彫刻を学んだ。1920年に彫刻作品「蕃童」により台湾人初の帝展入選を果たした。1930年に東京・池袋で病没している。戦後の国民党独裁時代は日本教育を受けた作家として一時期、排斥され、作品も散逸したが、1980年代後半になって再評価され、文化部などが散逸した作品を集めている  。

 山本銅像は1928年ごろ東京で制作され、黄土水の作品の中で傑作といわれ、「台湾の国宝」の呼び声が高い。元は高雄の橋仔頭製糖工場に置かれていたが、戦後、家族によって出身地の佐渡に移されていた。代表処の李世丙・副代表は今年6月に講演した際、戦前に撮影された同工場玄関前に置かれた銅像の写真を示しながら、「(台湾側の返還への)期待は大きい」などと語っていた。

 佐渡市は返還要求に対し、市民に対し意見を求めるパブリックコメントを行ったが、反対意見はなかった。返還決定の過程で、佐渡でダンスを教えて30年余になる台湾出身の舞踊家、若林素子さんが仲介に尽力したとされている。

 謝大使は佐渡市役所での調印後、記者会見して、佐渡市側に感謝の言葉を述べると同時に、「100年前の先人がまいた美しい種から生まれた友好が、深まることを期待したい」などと語った。