「安倍晋三友の会」・陳唐山会長に聞く

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「台湾の永遠の友」と書かれたパネルの前に立つ安倍元首相の銅像

安倍晋三元首相が参議院議員選挙の応援演説中に銃撃されて死亡した2022年7月8日から約6ヶ月。国葬や山口県民葬を経てなお評価が分かれる日本とは対照的に、台湾では有志の手によって安倍氏の銅像が建てられ、「安倍晋三友の会」が発足するなど、安倍氏の業績を称え、それを日台交流の礎づくりにつなげようとする活動が始まっている。

 そのような中で、本紙は11月28日に安倍晋三友の会の陳唐山会長(遠景基金會董事長、元外交部長)を訪ね「友の会」発足のいきさつなどを聞いた。

―「友の会」が発足したことは日本でも一部のメディアで報道されましたが、もっと詳しく知りたいという方が大勢いらっしゃいます―

 友の会については安倍氏が不慮の死を遂げる前から設立の構想があり、本人の承諾も得ていました。李登輝元総統の2周忌の催しをする9月22日に安倍氏を台湾に招いて発足する予定だったのです。その直前に安倍さんを悲劇が襲いました。「安倍さんが亡くなったのに友の会を発足させるのか?」、「元気に活躍されていてこその友の会ではないか?」、「亡くなったことでこれまでの業績や台湾に示してくれた友情が消えるわけではない」など、様々な意見の中で我々も悩みました。しかし、結局発足させることに落ち着き、10月11日に圓山大飯店で発会式を開催しました。安倍さんほど台湾との連携・協力を全面に出した日本の総理大臣はいないように思えたからです。

友の会発足のいきさつを語る陳会長(右)

 安倍さんが総理大臣をやっていた間、台湾ではいろいろな問題がありました。例えばパイナップル事件。中国が台湾産のパイナップルを締め出した時、安倍さんが「台湾のパイナップルを食べよう!」と呼びかけてくれました。安倍さんの呼びかけで日本がパイナップルを買ってくれたおかげで、台南の農家は一息つくことが出来ました。

 さらに台湾がドイツからコロナワクチンを買うときに契約上のトラブルがあって輸入できずに困ったときも安倍先生の尽力で日本からワクチンを送ってくれました。これは非常に重要な出来事でした。人間は困ったとき手を差し伸べ、応援してくれた人に恩義を感じるものです。

 もう一つは台湾の安全に関する問題です。安倍さんは国際問題について他の政治家には見えなかったものを見通しました。インド洋と太平洋を結びつけて一つの大きい海洋と考え、ブロックを造ったことです。これがQUAD(日米豪印戦略対話)につながりました。更に安倍さんは「台湾有事は日本の有事」と明確に言いましたが、これに台湾の人々は興奮し、感謝しました。台湾人に大きいインパクトを与えたのです。私はこのとき安倍さんは日本の政治家から世界の政治家になったと思いました。これらのことが安倍さんが亡くなった時、台湾のみならず世界の人々が惜しんだ理由だと思います。

―陳会長は日本時代に教育を受けたということですが―

 私は昭和10年生まれなので、国民学校で2年半教育を受けました。そこでは「修身」の時間がありましたが、その教えの重点は「美しい人、礼儀正しい人を作る」ということだったと理解しています。美しい人、礼儀正しい人の真髄は「恩返し」ではないでしょうか? 11年前の東北大震災の時に台湾人は自主的に義援金を送りました。これはその前に台湾で起きた921大地震(1999年9月21日南投県集集鎮付近が震源地)の日本の援助に対する恩返しでもありました。東北大震災への台湾の支援に対して安倍総理はたびたび「恩返しをしたい」という言葉を使いました。私は日本の政治家と一緒に東南アジアの人々が平和に生活できる環境を作りたいと思っています。それも政治家としての私の恩返しの一つです。

流ちょうな日本語で語った陳会長

―友の会の活動として、まず何から始めますか?―

 最初に日本から台湾に留学する学生に1人100万円ていどの奨学金を出すことを決めました。それを受けて勉強した人が将来「知台派」として台湾と協力し合える人材となることを期待しています。今日までに既に50人を超える人から応募が来ています。

―留学生への奨学金提供とともに、中学生や高校生の修学旅行をサポートしてはいかがでしょうか? 九州でも熊本県立大津高校の白濱 裕元校長が熱心に台湾への修学旅行を推進し、若者が台湾を知り、台湾を通じて日本を知るという成果を上げているようです―

 100%賛成です。ぜひ実施したいと思います。11年前に野菜検疫の問題で千葉県へ行き、森田前知事に会いましたが、そのとき知事が「県の高校の修学旅行先で最も好ましいのは台湾だ」と言ってくれたのが嬉しかったことを覚えています。

 また、今年の国慶節のイベントに京都・橘高校の88名のチームが我が国に来てマーチングバンドを披露したことがすごいインパクトを与え、若い人が与える影響力の大きさを感じました。

 これからは若い人同士の交流が必要だと痛感しました。

国慶節に参加した京都・橘高校のマーチングバンド(総統府公開ビデオより)

【インタビューを終えて】

 翌日には東京の会議に出席するという忙しい合間を縫ってのインタビューだったが、当方の質問には的確に答えてもらった。

 また、話題が橘高校のマーチングバンドに触れたときには「香りの高い橘を♪積んだお船が今帰る♪遠い国から積んできた♪花橘まっしぐら♪・・・」と歌ったり、台南の農業の話では、インタビューの場にミカンを持ってこさせて一緒に食べるなど、柔軟できさくな面も垣間見せた。

 安倍元首相の評価については、「日本でも大きな筋を押さえた前向きの姿勢が必要ではないか」と言外に問われているような気がした。