
ともに原爆の惨禍を経験し、毎年世界に向けて平和を訴えている都市でありながら、台湾に対する広島と長崎の対応は大きく異なり、理解に苦しむほど対照的である。
8月6日の広島平和記念式典では、台湾の李逸洋・駐日代表は各国の駐日大使らと同じ席に案内された。ところが、その3日後に行われた長崎の平和祈念式典では、長崎市は台湾代表を外交使節団の区域外に設けられた「海外席」に配置した。これを受け、李代表は出席を見送り、代わって台湾の福岡弁事処長が出席した。
長崎市は、今年の座席配置は昨年と同様であり、台湾を意図的に排除したものではないと説明している。「特別来賓席」には限りがあるため、一部の海外関係者を「海外席」に案内しただけで、台湾の扱いを格下げする意図はないという。
しかし、問題は席が近いか遠いかではない。台湾がいったいどのような立場として扱われているのか、という点にある。広島では台湾代表が各国の外交使節と同席できるのに、なぜ長崎ではできないのか。しかも台湾側は昨年すでに、この扱いに不満を表明している。それにもかかわらず今年も同じ対応を繰り返し、「座席数に限りがある」と説明するだけでは、到底納得を得られないだろう。
台湾と日本は数十年にわたり、困難な時には互いに助け合ってきた。2011年の東日本大震災では、台湾からの民間義援金は200億円を超えた。その後も日本で大きな災害が起きるたび、台湾は決して傍観することなく支援の手を差し伸べてきた。最近の熊本地震でも、台湾から多くの義援金が寄せられた。さらに近年、TSMCが熊本に進出したことで、日台関係は民間交流にとどまらず、経済、安全保障、戦略面へと一段と深まっている。同じ九州にあり、熊本にも近い長崎も、こうした日台関係の深化による恩恵と無縁ではない。
もちろん、こうした過去をあらためて持ち出すのは、日本に「恩返し」を求めるためではない。国家と国家、人と人との関係で本当に大切なのは、どちらがどれだけ相手を助けたかという損得勘定ではなく、苦難の中で培われた信頼と、互いの尊厳を大切にする心だからである。
まして広島と長崎は、ともに原爆の惨禍を世界に伝え、戦争に反対し、平和を訴え続けてきた都市である。平和とは、単に戦争がないことだけを意味するものではない。自由と民主主義、そして人間の尊厳を尊重することもまた、平和を支える大切な価値である。
世界に向けて平和を訴える式典でありながら、現に武力による威圧にさらされている台湾が、「尊厳を守るか、式典に出席するか」という選択を迫られるとすれば、それは果たして平和の精神にかなうものだろうか。
台湾は長崎に特別扱いを求めているのではない。ただ、広島と同じように、相応の敬意をもって接してほしいと願っているだけである。
台湾と日本には正式な国交こそないが、国交という形式を超えた深い友情がある。苦難の時に助け合ってきた真の友人同士であるなら、政治的な配慮を互いの尊厳より優先させるべきではない。
そして、世界に向けて平和を訴える都市であるならなおさら、政治の壁を乗り越え、平和を願うすべての友人に等しく向き合う勇気を持つべきである。
広島にできることが、長崎にできない理由はない。
投書人:大田一博
2026年8月13日




















































