長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における台湾代表の座席をめぐる問題について、最近、台湾国内からも別の意見が聞かれるようになった。
「長崎市はそもそも台湾を正式に招待しておらず、台湾側が自ら参加を申し込んだのだ」という理由から、李逸洋・駐日代表の対応は適切ではなかったと批判する声である。
しかし、こうした議論は、二つの異なる問題を混同しているのではないだろうか。
正式な招待を受けたかどうかは「手続き」の問題であり、台湾代表が参加を認められた以上、どのような扱いを受けるべきかは「尊厳」の問題である。
長崎市によれば、平和祈念式典に正式な招待状を送る対象は、日本外務省のリストにある駐日外国公館および国連代表部などであり、台湾はその対象に含まれていないため、正式な招待状は送られていないという。
これは、日本と台湾に正式な国交がない以上、外交上の現実であり、台湾側も十分承知している。
しかし、問題はまさにそこから始まる。
日台断交からすでに半世紀以上が過ぎた。正式な外交関係はなくても、日本と台湾は、多くの国交のある国々にも劣らない、極めて緊密な実質関係を築いてきた。
日本政府や日本社会も長年、「国交がない」という現実の中で、さまざまな工夫を重ねながら、台湾にふさわしい敬意と尊厳のある対応をしてきた。
もし何事につけても「台湾は外務省の外交リストに入っていない」という一点だけで扱いを決めるのであれば、この半世紀にわたって日台双方が築いてきた特別な関係には、いったいどのような意味があるのだろうか。
しかも、長崎における台湾の扱いは、今年になって突然問題になったわけではない。これまでにも日本の民間団体が長崎市議会に対し、台湾を平和祈念式典に招くよう求める陳情を行っている。

広島もすでに対応を改め、台湾代表が式典に参加し、各国の駐日使節と同じ場に列席できるようになっている。
つまり、問題の本質は、台湾が「無理に参加しようとしたかどうか」ではない。台湾が各国とともに原爆犠牲者を悼み、世界に向けて平和を願う意思を示そうとするとき、長崎が台湾とどのように向き合うのか、ということである。
李逸洋代表が公に抗議したことで日台関係を損ねたり、日本の親台派の人々が台湾を支持しにくくなったりするのではないか、と心配する声もある。こうした懸念にまったく理由がないわけではない。外交には節度も技術も必要である。
しかし、外交上の配慮とは、不合理な扱いに対して沈黙することではない。ましてや、ただ黙って耐えることでもない。 一方だけが譲り続け、異議を唱えることさえできない関係でなければ維持できないというのであれば、それは成熟した健全な友好関係とは言えないだろう。
とりわけ忘れてはならないのは、この式典が戦争犠牲者を追悼し、核兵器の廃絶と世界平和を願うためのものであるということだ。長崎市自身も長年、国内外に平和の尊さを訴え、広島とともに世界平和の実現に取り組んできた。
そのため、長崎市は毎年、中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国にも式典への出席を呼びかけている。
だからこそ、このような場では、参加者をどのように扱うかという問題についても、狭い外交上の形式を超えて、平和、相互尊重、そして人間の尊厳という原点に立ち返って考えるべきではないだろうか。
台湾は、日本に外交承認のあり方を変えるよう求めているわけではない。また、長崎に対して他国以上の特別待遇を求めているわけでもない。
台湾が求めているのは、参加を認められた国際的な場において、正式な国交がないという理由だけで、不必要に区別されないことである。
したがって、今回の問題で本当に考えるべきなのは、李逸洋代表が「抗議すべきだったか、すべきでなかったか」ということだけではない。
私たち自身が、日台友好を大切にするあまり、台湾はどのような扱いを受けても黙って受け入れるべきだ、と考えてしまってはいないかということである。
真に成熟した日台関係とは、困難な時に互いに助け合える関係であると同時に、意見が異なる時には、互いに率直にそれを伝え合える関係でなければならない。
正式な国交がないことは、国際政治の現実である。しかし、互いの尊厳を尊重することは、友人同士の最も基本的な原則である。
日台友好は、長い年月をかけて築き上げてきた大切な関係である。だからこそ、その友好を維持するために、台湾の尊厳を犠牲にしてはならない。

まさに、長崎市の平和公園に建立されている「平和祈念像」が示しているように、作者の北村西望氏は、この像に込めた意味について次のように語っている。
この平和祈念像は『茲に全世界平和運動の先駆として、この平和祈念像が誕生した。山のような聖哲、それは逞しい男性の健康美。全長三十二尺余、右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。人種を超越した人間、時に仏、時に神。長崎に始まった最大の英断と情熱、今や人類最高の希望の象徴。』
長崎市が世界平和運動の先駆けを自任するのであれば、まさにその「最大の英断と情熱」を発揮し、さまざまな政治的な壁を乗り越えて、世界の平和を願うすべての国々を広く迎え、ともに平和を祈る場とするべきである。それこそが、長崎が世界に向けて平和を追求する決意を示すことになる。
2026年8月15日(終戦の日)
大田一博 敬具




















































