一青妙さんの講演が盛況


舞台女優で歯科医師・エッセイエスト・ナレーターと多彩な顔を持つ、歌手の一青窈さんの実姉、一青妙さんが10月24日、都内で講演会を開催した。「私のアイデンティティについて」と題する演題で台湾と関わりの深い人々やファンが駆けつけた。
ある事件をきっかけに日本人と台湾人のハーフとしての自身の存在の意味を考えるようになったという妙さん。講演終了後、温かい、大きな拍手が会場を蔽った。主催は日台友好団体の東京台湾の会。また、講演会の2部として懇親会も開かれた。

講演に先立ち主催者として東京台湾の会の喜久四郎会長は、一青妙さんが3年来の会員であることに触れながら「妙さんはこれまでいろいろな体験と感情の交差のなかで生きて来られました。話を聞かれて皆さんに得るところがあれば幸い。それにしても今日は予想を超える方々に集っていただきありがたいことです」と挨拶した。
講演は前半が自身の家族を含めたプロフィールの紹介だった。妙さんの父親は1928年生まれ。台湾・基隆の顔家財閥(一族は九份の鉱山財閥)の3代目長男。母は1944年生まれ。石川県出身の日本人(一青姓)。1970年生まれの妙さんは小学校時代を台北(私立復興小学校)で過ごした後、父親の仕事の関係で東京世田谷区に転居し、そのまま日本に在住。14歳(中学2年)で父を、21歳(歯科大在学中)で母を病気で亡くした。「大学を卒業して歯科医になり気づいたら30代半ば。台湾とは遠いところで生きていましたね」(一青妙さん)。
ところが5年前、家の建て替えをすることになり、解体時、荷物整理をしていた時に押し入れから1つの箱を見つける。これがその後の人生を変える事件となった。
「箱の中にはたくさんの手紙、ノート、写真などが入っていて家族の思い出が詰まっていました。忘れていた台湾の記憶が、水道の蛇口をひねって一気に貫通するように昔の思い出がフラッシュバックして出て来たんですね」(同)。
これを契機に父親の足跡を辿る作業が始まった。妙さんは顔家の親族や友人たちを訪問することで、学習院に留学していた父親の終戦時の様子、1947年の台湾への引き揚げ時の様子、あるいは台湾での引き籠りの様子などを知り、「日本人として生きたかった父親の苦しみ」に近づく。「日本と台湾が政治的に引き裂かれることで父のような人間もアイデンティティが二つに引き裂かれたのだと思います。同時代の人の話を聞いて、私自身、台湾の歴史を知ることができ、今、『私は日本人と台湾人のハーフです』と言えるようになったんです」(同)。
こうした経験がエッセイ「私の箱子」(講談社)、「ママ、ごはんまだ?」(講談社)の2冊の著作に結実した。現在も妙さんの台湾を探す旅は続いており、「小さなことでもいいから合湾とつながっていきたい」と語る。日台友好団体などとの交流も活発に行っている。
後半は、今、台湾で流行している還島という台湾1周旅行の体験談だった。

第2部の懇親会は、呉正男監事が進行役を務め、三宅教雄顧問が乾杯の音頭を取った。来賓として挨拶した台北駐日経済文化代表処教育組林文通組長は「本日は一青妙さんの講演会にご招待いただきありがとうございます。東京台湾の会の皆さんが日台友好親善のために努力されていることに対して感謝申し上げます」と述べた。続けて台湾協会根井洌理事長、高座日台交流の会石川公弘会長、日本から台湾の世界遺産登録を応援する会の辛正仁さんなどが挨拶を行った。
中島欽一前理事による閉会挨拶の後、1部の司会進行を担当した松澤寛文副会長は「今日は人気エッセイエストの一青妙さんが講師ということで大勢の方が参加されました。ありがとうございました」と講演会の成功を確信していた。
東京媽祖廟代表 連昭惠さんインタビュー

大切なことは心と心の交流、台湾人の温かさを伝えたい
Q媽祖様との出会いは
A小さい頃から観音様を信じていました。私は台湾の大学を卒業後、交流協会の奨学金で1991年に来日し、一橋大学大学院に留学しました。ところが卒業の1年前に父が突然亡くなり、心の支えが急に無くなってしまいました。1994年に大学院を卒業し台湾に戻って大和証券グループ会社のNIF社に就職し、2001年にちょうど仕事のため、来日するかどうかを悩んでいました。その年の媽祖様の誕生日に突然、媽祖様が私に話しかける声が聞こえるようになったんです。「日本に行ってください」とはっきり指示してくださいました。日本に来てから、どんな問題に直面しても、すぐ媽祖様にお願いすることになりました。その時点から、媽祖様にお願いしたことはすべて叶えていただいております。従って、媽祖様に恩返しをするため、東京媽祖廟の建設には一生懸命頑張ってきました。
Q東京媽祖廟との関わりは。
A詹徳薫董事長とは2008年にお会いしました。媽祖廟の話は3~4年前から。詹董事長のもとに華僑様から媽祖廟建立の願いが様々届くようになったということです。問題は誰がお金を出してビルを買って廟を建てるか、また、廟に関する知識やネットワークがないと実現は難しいという点でした。こうしたなかで、資金的な目途が立ったということで詹董事長から昨年の春に「媽祖廟を建てましょう」というお話がありました。ちょうどこの頃、日本媽祖会の入江修正理事長(※)ともお会いする機会がございました。
Q廟の建立までの経緯は。
A去年の4月に不動産屋さんに土地とビルの打診をしました。条件は台湾人が多く住んでいる新宿か大久保エリア。20件ほど物件があり、1つ1つ媽祖様に確認してご指示をいただき、詹董事長とも相談しながら現在の場所に決めました。来てみると両脇が空き地という好条件の場所でした。現地の状況から新たにビルを建てるのではなく、修繕工事、改築をすることにして、お寺を造ることができる台湾の建築業者を探しました。
Q工期は。
A実は媽祖様より来年の旧暦9月9日に安座式をやりましょうというご指示がございました。つまり、今年の10月13日です。逆算して1年少々しか時間がないなか、様々な問題もありましたが直面しては解決しながら今日に辿り着きました。
Q代表としての役割は。
A私がこの立場になったのは、皆様に貢献したいという気持ち、お寺や神様の知識、会社経営の経験などがあると思います。実際、東京媽祖廟の管理システムを作り、またウエブサイトを構築したり、信徒様の拡大や行事をどうしていくか考えていますが、一番大事なのは、心の交流です。ビジネスではありません。東京媽祖廟は営利目的で造られたものではありません。皆様の心をどうしたら温めることができるかが肝心なことですし、心の拠り所になって欲しいと思います。
Q収益事業は。
A寄附という形ではなく、台湾では普通に行われている光明燈へのお供え(1年1万円)をお願いしています。
Q今後の活動は。
A華僑の才能ある方々に先生になってもらいながら老若男女、例えば、健康のための正座など各種勉強会や授業などを行ったり、家庭や仕事の悩みなどの相談を受けたり、様々な交流が深まれば嬉しいですね。ここは宗教のための信仰の場のみということではありません。現在、協力いただける方たちと運営委員会を作って定期的に話し合いを持っています。
Q最後に。
A3.11の地震時の義援金に見られるように、台湾人の心の中に隠れている優しさ、温かさを皆さんに伝えたいと思います。
※一般社団法人日本媽祖朝天宮代表理事入江修正氏
■プロフィール
連昭惠、台湾台北市生まれ。1990年、台湾輔仁大学を卒業、1991年に日本一橋大学大学院商学研究科に留学。1994年に卒業、そして帰国後、大和証券グループ会社のNIF社台湾支店に勤務。2001年、仕事のため再度来日。2003年2月に、ウィツ株式会社設立。2013年、東京媽祖廟代表に就任。
念願の東京媽祖廟、盛大に落慶開廟式典、開催

留日華僑の悲願であった東京媽祖廟が新宿区大久保駅前に完成し、10月13日、安座式典&祝賀会が盛大に開催された。
媽祖は航海や漁業の守護神として中国沿海部福建省や潮州を中心に、台湾ではとくに篤く信仰されている道教の女神。東京媽祖廟の本殿(3階)には、中国最古の媽祖廟と言われる福建・泉州天后宮から分霊された媽祖様、そして朝天殿(2階)には300余年の歴史を有する台湾・北港朝天宮の分霊された媽祖様を祀る。


午前10時から始まった安座式典には、詹徳薫・東京媽祖廟会長、台北駐日経済文化代表処沈斯淳代表、馮寄台・前代表、徐耀昌、黄文玲、呉宜臻、陳節如、姚文智の各立法委員、陳士魁・僑務委員会委員長、黄石城・前中央選挙委員会主任委員などが出席し、最初に落成記念のテープカットが行われた。続いて、3階の本殿に移動し、主催者、来賓が参加する形で滞りなく開光の儀式および上香の儀式が行われ、媽祖様が無事、鎮座された。
沈斯淳代表は、「媽祖信仰は、台湾の重要な信仰の一つ。こうして東京媽祖廟が創建され、東京に住む華僑の方々にとって信仰の拠り所になることは、この上なく喜ばしいことです」と今後の展開に期待を示した。
詹会長は、「建てるまでには近隣住民から反対の声があがるなど苦労もあったが、多くの人々の尽力と寄付によってこうして完成の日を迎え、人生で一番嬉しい一日だ。大久保にはたくさんの台湾人が住んでおり、廟が心の拠り所となることを望む。2020年までにこの周辺を台湾街または媽祖街にしたい」と力強く語った。
その後、来賓は1階に移動し、記念撮影に応じていた。

東京媽祖廟安座祝賀会は、午後6時30分から帝国ホテルにて実施された。冒頭挨拶した詹徳薫会長は、午前中の式典で述べたように、建設には5億円の費用を要したが、こうして完成の日を迎えられ、人生で一番嬉しい一日です、と挨拶した。次いで、陳士魁・僑務委員会委員長、日華議員懇談会平沼赳夫会長、台北駐日経済文化代表処陳調和副代表、日本媽祖会入江修正名誉会長、台灣北港朝天宮蔡咏鍀董事長、西田順三参議院議員、徐耀昌立法委員、黄石城・前中央選挙委員会主任委員が祝辞を述べた。
乾杯の音頭は日本中華連合総会毛友次会長が取った。宴は和やかに推移し、途中で台湾で高名な書道家張炳煌氏が登場。その場で文字を書くパフォーマンス。持参した作品と合わせて5枚を参加者に贈呈した。

最後に挨拶した連昭惠代表は「東京媽祖廟は改築という難しい方法でようやく完成にこぎつけました。いろいろ問題はありましたが、媽祖様のお陰で順調に今日に至りました。日本と台湾を往来する中での祝賀会ということで、こうした安座式典を開催できて誰よりも嬉しいです。今後、東京媽祖廟を通して、日本と台湾の文化をもっと促進させていきたい」と締めくくった。
この後、全員で媽祖の歌を合唱し、閉幕した。
宜蘭冬山鄉茶米節 邀你來體驗農村生活
宜蘭縣冬山鄉為建立在地農業品牌,今年首度將連辦8年的茶米節,以結合休閒農業業者,推出一連串新型態茶葉和稻米的體驗活動,將從11月2日至10日間,在冬山鄉內舉行。此外,主辦單位也分別和台灣旅行社合辦體驗型的旅行,秋天將安排主打茶葉主題的自然旅行,冬天則進行以米為主的食材旅行,屆時預計將邀請國內外超過1000位遊客來參與,認識台灣農村和農業。

11月初舉行的茶米節活動中,冬山鄉農會將安排紅茶製作體驗、結合金、木、水、火、土,五行概念的創意米食體驗,另外,像是客家擂茶的製作,碾米體驗等等,都是現在繁忙的都市人鮮少有機會體驗,可以貼近農村生活的活動,另外在冬山鄉農會和旅行社合作的旅遊規劃部分,則推出8條不同的自然、茶葉和有機主題行程,讓前往參加的旅客可以親身體驗自然樂活的環境。

冬山鄉農會總幹事黃志耀表示:為建立在地茶葉品牌,和推動在地品牌策略,透過休閒農業吸引消費者,建立產地直銷的管道,讓遊客親自到冬山鄉,感受當地的美景和觀察農民對待土地栽種茶葉的方式,同時也能體驗製茶的樂趣、品嘗茶品和茶點心、茶餐等在地美食,提升旅客對冬山鄉印象。

創意設計增加生活視角深度 台灣不缺席TDW2013

TOKYO DESIGNERS WEEK2013(簡稱TDW2013)於10月26日起至11月4日,在東京明治神宮外苑繪畫館前的廣場舉行,來自世界各地的設計好手和學子們,紛紛展出自己最獨特的設計,和其他設計師一較究竟、相互切磋,而在這個設計圈交流的場合中,當然少不了近來推廣設計軟實力的台灣,不管在Design Next展、年輕設計師展(Young Creator EX)或是學校作品展(Scool EX)、專業展(Professional EX)等展場,都可以看到台灣參展,此外也有不少從事與設計相關的專業人士或是就讀設計相關科系的學生,專程從台灣來日本看展,為的就是想在展場激盪出全新的創作靈感。



台灣設計新秀展創意
實踐大學工業產品設計學系便有10多位研究生,分別帶著自己自創品牌參加Design Next展,其中夕口設計/口口品牌的葉欣樺便帶來「花1/2多功能複合花器」,以上層陶瓷花瓶設計結合下層玻璃可作為菸灰缸或是裝糖果、小配件等容器,讓花瓶不再只是美而無用、華而不實的裝飾品。另外像設計師陳怡廷則以現代人使用手機平板的習性,結合過去文人雅士養鳥的雅興,設計出一款手機座充音響「都市鳥籠」(Urbancage),既帶點戲謔的意味卻也兼具設計感。



崑山科技大學旗下的藝文產業創新育成中心,結合台南地區多家業者的商品,以「Chitow」(即台語的玩耍音譯「(辶日)迌」)為概念,帶來包括Q版神明造型的書籤、飯糰造型的小錢包和溫感變色T恤,該校創意媒體學院全像立體影像實驗室專職研究員徐凡表示,因為多數的日本人對台南還不是這麼認識,所以這次他們便以藝文產業創新育成中心裡輔導的數家台南業者的商品,一起介紹南台灣的特色,像很多人對刈包或飯糰造型的錢包就很感興趣。


台灣設計作品角逐No﹒1
另外,參加學校作品展的成功大學工業設計系則將過去畢業生的作品,以「仁」為概念,從單純物品的設計,到個人生活用品、群體生活用品,再進而延伸到社會生活、對環境友善等多個層次的作品,展現與人友善、與環境共生的概念,像是一款「給藥時鐘」(Med O‘clock)就可定時定量提供藥品給年長者使用,相當便利。由於這次是成功大學第一次獲邀參展,所以他們也很期待可以在學校作品展中獲得好成績,今年則共有54間海內外學校參展,共56支隊伍角逐亞洲第一的名號。

在年輕設計師展中則有吳孝儒的塑膠陶瓷作品、陳彥廷和陳泳勳的「NEXT-chair」等作品,從世界各國2000多件的作品中脫穎而出,成為入選的36件作品。還有TDW ART的部分亦有蘇修賢、王建揚、呂英菖等多位創作家的作品推出,在展場可直接購買。
各種類型的設計創作、從食衣住行育樂各個面向,都可以在TDW2013展場中發現獨特且有趣的設計新品,透過這些與眾不同的創意讓我們生活的視角可以看的更遠、更深。


古又文辦秀獨厚日本 創作「Selma」用服裝說故事
以針織作品聞名的台灣服裝設計師古又文,近年來推出以印花圖案為主的系列作品,依然受到世界各地時尚人士的青睞,今年古又文在他的訂製服系列「Johan Ku Gold Label」更大膽地運用棉質、尼龍、塑膠等各種材質拼接而成全新的布料,搭配半透明PV材質,創作出全新系列作品「Selma」,為2014年春夏的東京時裝周帶來與眾不同的視覺震撼。


古又文表示這次的作品靈感來自於電影《在黑暗中漫舞》,片中主角的名字即是叫「Selma」,由於被電影中對人性的刻劃所吸引,所以便將之轉化在作品創作上,「就像是片中主角原本是個單純的人,但卻不被這麼認為,就像這次的系列作品中,近距離看了之後,所有布料的圖案是可以看得很清楚地,但如果用不一樣的方式去看的話,又是不一樣的。」古又文解釋道,而片中主角Selma逐漸喪失視力的設定,則轉換成半透明的PV材質,拼接在各式印花圖案上,營造出模糊與錯視的視覺效果。


此外,秀上當然也少不了古又文擅長的針織作品,只是這次古又文改以麻及尼龍針織,設計出輕盈的針織洋裝、上衣、褲裝等單品,再以層次堆疊的手法增加份量感和垂墜感,儘管看似厚重,卻是相對輕盈飄逸,行進間的律動感和仿鐵鏽的咖啡色調都能和靈感發想來源的電影《在黑暗中漫舞》前後相呼應,讓人見識到古又文用服裝說故事、將意象具體化的功力。


而在世界各地僅辦展示會,卻獨厚日本,在東京時裝周舉辦時裝秀的古又文表示,今年第4度來到東京辦秀,「由於日本是很歡迎新的東西和有創造性的東西的地方,所以每次辦秀都會有些壓力,會想要帶來新的突破或是品牌新的發展讓大家檢視,這對我來說也是一種成長的壓力。」而目前古又文將創作據點主要放在倫敦和台灣,像這次全新系列的商品便都是在台灣製作的,堪稱是百分百的「Made in Taiwan」。
横浜で台湾ビジネスセミナーが開催

公益財団法人横浜企業経営支援財団(IDEC)が主催した、台湾貿易センター(TAITRA)・横浜企業経営支援財団連携記念「台湾ビジネスセミナー」が10月23日、同財団内で開催された。
IDECとTAITRAの連携は2006年にさかのぼる。TAITRAは日本のジェトロのような貿易振興を図る機関だが、国際企業人材育成センターという人材育成機関を有し、日本語と貿易の教育を行い、日本語を学んだ学生をIDECが窓口となって横浜市内の企業にインターンとして紹介している。

IDECの屋代昭治理事長は冒頭の挨拶のなかで、「これまで9年目で145社、171人の実績がございます。このうち、横浜市内の企業に3社、6人が就職されました。今後、TAITRAとの関係は人材の交流にとどまらず、TAITRAの力を借りて台湾企業との連携によって横浜の企業を東アジアや東南アジアに展開していければと思います」と述べた。
続けて台湾貿易センター東京事務所長陳英顕所長による講演「台湾企業の強みと日台ビジネスアライアンスのグローバル展開」が行われた。
陳所長は「台湾経済の躍進」「台湾企業の強み」「親日的な台湾」「台湾を活用、日台連携の最新事例」「展望」の順に豊富な事例をもとにユーモアを交えながら分かりやすく話した。中でも鴻海の紹介は初めて耳にすることも多く、参加者は熱心に聞いていた。経済に関わらず、台湾の全体像が理解できる充実した講演内容だった。
また、ASEジャパン(株)鍾智孝代表取締役社長は「半導体産業の最新動向とASEのグローバル戦略」と題し、講演した。鍾社長はASEグループの成長の背景を紹介しながら、日本の半導体産業はなぜ弱くなったのかという質問に対して、「世界の半導体産業は水平分業でやっていますが、日本の企業は垂直統合にこだわる傾向があります。この辺りにもヒントがあるかもしれません」と述べていた。
午後2時から始まったセミナーは盛況のうちに午後4時、閉幕した。
第26回東京国際映画祭「東京サクラグランプリ」決定!~スゥエーデン映画「ウィ・アー・ザ・ベスト!」~
TOHOシネマズ六本木ヒルズで第26回国際映画祭の最後を飾るクロージングセレモニーが10月25日、行われた。会場となったスクリーン7は関係者やマスコミで満席。熱気に包まれた。授賞者・作品は以下の通り。
東京サクラグランプリ:「ウィ・アー・ザ・ベスト!」 賞金 5万ドル
審査員特別賞:「ルールを曲げろ」 2万ドル
最優秀監督賞:ベネディクト・エルリングソン 「馬々と人間たち」 5000ドル
最優秀女優賞:ユージン・ドミンゴ 「ある理髪師の物語」 5000ドル
最優秀男優賞:ワン・ジンチュン 「オルドス警察日記」 5000ドル
最優秀芸術貢献賞:「エンプティ・アワーズ」 5000ドル
観客賞:「レッド・ファミリー」 1万ドル
アジアの未来 作品賞:「今日から明日へ」 1万ドル
アジアの未来スペシャル・メンション:祖谷物語~おくのひと~
日本映画スプラッシュ 作品賞: 「Forma」 100万円

日本映画スプラッシュ部門の作品賞には、映画監督を目指して熊本から上京した坂本あゆみ監督の長編初監督作品『FORMA』が 選ばれた。クリスチャン・ジュンヌさんが審査委員を代表して、「8本の作品を審査しました。どの作品からもエネルギーを感じとることができました。受賞作品は、ビジュアルも物語も豊か」と讃えた。坂本あゆみ監督は、「このような賞をいただき胸がいっぱいで言葉が出ません」と涙の止まらない受賞となった。

アジアの未来部門では、釜山と東京の二つの 国際映画祭の審査委員を務めた青山真治さんは「二つの国際映画祭を通して20本の映画を見ましたが、笑える映画がひとつもありませんでした。問題意識を追求するために最も観客にアピールするのは、笑いです」と述べた上で、「2本選びました。作品賞は 1本ですので、もう1本は、スペシャル・メンションとしました。『祖谷物語-おくのひと-』です。作品賞は、『今日から明日へ』です」と発表。ヤン・フイロン監督は、「ありがとうございます」と感無量。ガッツポーズを何度も繰り返した。

コンペティション部門では、観客賞作品『レッド・ファミリー』のイ・ジュヒョン監督と出演者をステージで紹介。イ・ジュヒョン監督は、「キム・ギドク氏の素晴らしい脚本とここにいる素晴らしい俳優に感謝します」と喜んだ。

最優秀芸術貢献賞『エンプティ・アワーズ』について、審査委員長チェン・カイコーさんは、「受賞作品は素晴しい青春映画。 愛と、大人の世界を初めて知る喜びに満ちた作品」と称した。アーロン・フェルナンデス監督は、メキシコに帰国。代わりにセールスエージェントであり、監督の友人、フレデリック・コルヴェス氏が代理で受賞し、その後フェルナンデス監督 からのビデオメッセージが紹介された。「コンニチハ!先ほど素晴らしいニュースをいただきました。本当に嬉しいです。今回の受賞には、 特別な意味があります。製作チームが初めて受賞した賞だからです。東京で私の代わりにお酒を飲んで祝ってください!」

寺島しのぶさんは、「素晴らし演技というものは、スクリーンに人物の息づかいを生み出すものです。一人の人間を何年もの間に渡って描 くことほど、難しいことはありません。役に欠点や強さや思いやりを与えつつ、一個の人格として立ち上げることができれば、真に優れた演技と言えるでしょう」と述べ、最優秀男優賞の受賞者を発表した。栄冠は、『オルドス警察日記』で過労死した警察官を演じたワン・ジンチュンさんだった。会場のニン・イン監督に敬意を表しながら、「私は、家族を愛し、友人を愛し、映画を愛しています。翼をいただいた気分です。世界を照らす 翼です」と述べた。

最優秀女優賞は、審査員のムン・ソリさんが発表。「この 賞を受賞される方は、私たちを困難な旅に連れて行ってくれました。虐げられた妻に始まり、最後は革命家になりました。愛情と哀愁と悲 しみを見事なバランスで演じきっておられました。私もこの方に早くお目にかかりたいです」と讃えた。受賞したのは『ある理髪師の物語』で主演した ユージン・ドミンゴさん。「緊張しています。思いも寄らない受賞で、賞金もいただけるなんて!この賞をとても重要な方と共有したいと思います。皆さん、信じられないかもしれませんが、実は私は喜劇役者なんです。電気も電話もないみじめ な気持ちになるような現場の撮影に私を呼んでくださった、本作品の監督であるジュン・ロブレス・ラナさんに感謝します」とスタッフに感謝の言葉を贈った。

最優秀監督賞は、クリス・ワイツさんが発表。『馬々と人間たち』のベネディクト・エルリングソン監督は、トロフィーを頭の上に掲げ、「重要な賞です。これは私だけでなく、クルー、スタッフ、ミュージシャン、出演者、そして馬たちのものです。馬たちに言いたいのは、ヒヒーン!」と 会場を沸かせた。

審査員特別賞について、クリス・ブラウンさんは、「審査員としては、作り手がホームグランドで問題提起する、または声を届けたいという作品に惹かれます」と述べた。『ルールを曲げろ』のベーナム・ベーザディ監督は、「この賞を、イランの若者、アーティストやレッドラインを超える勇気ある人々に捧げます」とペルシャ語でコメントした。

東京サクラグランプリの受賞作品は、審査委員長のチェン・カイコーさんが、「最高賞には、卓越した完成度を求めました。情熱と魅力にあふれ、本物の人間の絆を、生き生きとしたエネルギッシュな演技で描いたこの作品に、審査委員は満場一致で決めました。『ウ ィ・アー・ザ・ベスト!』です」と発表。受賞作品のルーカス・ムーディソン監督には、東京都産業労働局長の塚田祐次さんから表彰状が、 そして、フェスティバル・ミューズの栗山千明さんから麒麟像が贈呈された。ムーディソン監督は、「思いもよらない受賞なので驚いています。東京国際映画祭に参加できるだけでも光栄ですので、本当に感無量です。私の妻であるココが、この原作を書きました」と、ココ・ ムーディソンさんにマイクを渡した。ココさんは、「私は、漫画家です。この映画を通して、すべての年齢の女性に音楽をやってみたい、と 思ってほしいです」とコメントした。
最後に、審査委員長のチェン・カイコーさんは、東京国際映画祭の9日間を振り返り、「この一週間、一生懸命審査委員の任務に当たりましたし、結果には大変満足しています。東京国際映画祭は非常にうまく組織され、運営もスムースでした。観客は情熱的で、スタッフの方々も協力的でした。東京は、若手の映画人の注目をもっと集めてもいいと思います。そうなると、東京国際映画祭にもっとたくさんの優れた作品が集まると思います」とコメントした。最後に来年の映画祭に向けて、日本語で「バイガエシ(倍返し)!」とユーモアたっぷりに締めの言葉を述べ、会場を沸かせた。
式の最後には、東京国際映画祭ディレクター・ジェネラルの椎名保が、「受賞者の皆様、おめでとうございます。第26回東京国際映画祭も今日が最終日となりました。台風と台風の間を上手く切り抜け、天候に恵まれた映画祭でした。もうひとつの台風は、閉会式が終わるのをじっと待っています」とコメントし、また、2020年オリンピックの東京開催が決まったことに触れ、「東京オリンピックまで7年。映画祭は、7回あります。一年一年積み重ねて盛り上げていきたいと思います。また来年、東京でお会いしましょう!」と締めくくった。
「27°C 世界一のパン」でリン・チェンシェン監督が伝えたかったこと~東京国際映画祭「台湾電影ルネッサンス2013」

第26回東京国際映画祭が10月25日、成功裏のうちに閉幕した。「東京サクラグランプリ」はスウェーデン映画「ウィ・アー・ザ・ベスト!」に決定した。
アジア映画では、「アジアの未来」(新鋭監督コンペティション)、「ワールド・フォーカス」(旧「アジアの風」と「ワールド・シネマ」合体企画)、そして「台湾電影ルネッサンス2013」として、東京国際映画祭ならではの焦点の当て方でその存在意義を大きく世界にアピールした。

「台湾電影ルネッサンス」ではベテラン監督のカムバック映画として話題になった「27°C-世界一のパン」を鑑賞した。リン・チェンシェン監督は「浮草人生」(TIFF96ヤングシネマ・コンペティション東京シルバー賞受賞作)でかつて東京国際映画祭を沸かせたが、今回は9年ぶりに、若くして伝説となった実在のパン職人の修業と成長の物語を描いて存在感をアピールした。
貧しい家に生まれ、父を亡くしたウー・バオチュンは、1人の裕福な少女と出会い、彼女が食べていた“あんパン”の虜になる。少女は転校してしまうが、このことにより、バオチュンはパン職人になることを決意。その後、成長した少女と再会し、恋愛。次第に腕を挙げ、やがてパン職人世界一を競う大会で勝利を収める、といった内容。
「貧しい職人が努力して世界一になる」「少女との純愛」「パン職人」という、いってみれば一見、オーソドックスなシチュエーションとありふれたテーマを、今、作品として発表した意味、狙いについて、リン・チェンシェン監督は、上映後の観客とのQ&Aのなかでこう話した。

「台湾社会は大変な学歴社会で、学士、修士、博士になって成功するという価値観が支配していました。一方で、田舎から都会に出て来た貧しい若者たちは皆、ファッションはダサいし、方言はあるしで苦労していました。社会は分業しなければ成立しません。低いところにいる人たちをバカにするのではなく、尊重し、彼らが夢を持って生きていけるような社会になればいい。いろんな産業で働く若者に夢を捨てないで欲しいと伝えたかった。日本にも」
50代の台湾映画のファンだという女性は上映後、「見終わった後。パンが食べたくなりましたね。映画を見て優しい気持ちになりました。心が和らぐというか。この映画を選んで正解でした」と話していた。



























































