熊本県益城町が台中市大甲区と友好交流協定を締結

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友好交流協定の締結式に集まった人々

熊本県益城町の西村博則町長が1月9日、台中市大甲区役所を訪れ、顏金源区長と友好交流協定を締結した。

式典には益城町からは西村町長に加えて酒井博範教育長と志賀鉄太郎顕彰会の宮本陸士会長らが出席。大甲区は顔区長のほか、台中市議会議員、学校関係者、農業関係者らが出席した。

署名後、協定書を披露する顔区長(左)と西村町長(右)

オンライン画面を通じて締結式に立ち会った台北駐福岡経済文化弁事処の陳銘俊処長(総領事)はスピーチの中で、大甲区と益城町が友好関係をスタートさせたことを祝うとともに、日台関係は切っても切れない家族のようなものであり、これまで両国が自然災害などの困難に遭遇したとき、いつも助けて合ってきたことに触れた。更に、この協定をきっかけに、今後両地域が様々な分野で協力と交流を生み出し、日台の強固な友好関係を築くことへの期待を示した。

また益城町の西村町長は2015年の熊本地震で最も被害の大きかった益城町が台湾の各界から頂いた熊本復興の支援金なども含めた「好意」により7年にわたる再建を経て、今年3月に新庁舎が完成したことを報告し、駐福岡弁事処のバックアップに感謝の意を表した。

これを受けて顔区長は「この提携は教育、観光、スポーツ、災害防止とそれへの対応の分野で更なる協力と発展につながるものと考える」と語り、特に2つの地域のどちらもが農業をベースにしていることから、スイカ、米、その他の農産物を栽培する経験を共有して、双方にメリットのある状況を生み出すことへの期待を述べた。

また、熊本県益城町の出身で大甲の小学校教師を務めた志賀哲太郎氏が台湾の子供たちに示した献身的な貢献に、今なお大甲の多くの人々が感謝と尊敬の念を持っていることに触れ「今後、学校教育面でも両地区の交流がさらに深まることを願っている」と述べた。

志賀鉄太郎は、熊本県上益城郡津守村(現在の益城町)に生まれ、明治32年(1899)大甲公立学校(現・大甲小学校)の代用教諭となり 26年間教師を務め、「愛情」を持って生徒の教育に当たった。彼が得た給料はその殆どを貧しい子供たちへの援助に充てるなどして、大甲の教育と文化に多大な貢献をした。そのため死後は「大甲の聖人」と呼ばれ、卒業生やその子孫の多くが墓参りを絶やさず、感謝の気持を持ち続けている。コロナ禍以前は熊本からも毎年墓参団が墓所を訪れていた。

熊本からも毎年墓参団が訪れていた志賀の墓所

近年、大甲区は文昌寺に志賀記念館を設置し顕彰しているが、今回の締結式に先立って西村町長一行は、大甲区の関係者とともに志賀が務めた大甲小学校、志賀の墓所、大甲鎮瀾宮、大甲文昌宮、志賀鉄太郎記念館などを訪問し、益城町でも2020年12月に志賀哲太郎顕彰会が中心となって、安部晋三元総理大臣が揮毫した顕彰碑を建立したことを報告した。

2020年に益城町に建立された志賀哲太郎顕彰碑