明石会、台湾・天主教聖家教会で感謝の“台湾音楽祭”を開催

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明石会は、11月9日日から12日の日程で明石元二郎の慰霊祭を含む日台交流ツアーを実施した。

一行15名は、9日に台湾に到着。その夜、中壢市にある高座会の前夜祭に出席した。

高座会とは太平洋戦争中の昭和18年、日本の若者や兵隊がすべて出征してしまい、不足。そこで台湾の少年工(14歳〜18歳)約8500人ほどが日本に招かれたのだという。仕事は、B29迎撃用戦闘機「雷電」の生産だった。「雷電」の工場が、神奈川県高座郡(現在の大和市辺り)にあったことから、小年工の同期会の名が高座会となった。

少年工は180機以上、生産したというが、やがて終戦。「勝手に台湾に帰れ」となり、少年工は自ら自治会を作り、アメリカ兵と交渉して台湾に帰国した。蒋介石政権下で事情を話すこともままならず、李登輝時代・台湾民主化まで沈黙した。その後、台湾全土に散っていた少年工が集まり、高座会を設立した。明石会の世話人である渡邊隆氏は、次のように話す。

「高座会は3年務めたら工業学校卒業証明書をもらえるという約束だったことから9年前、高座会60周年の時に、皆さんに『卒業証書』を出したんです。とても喜ばれました」

高座会の総会が11月10日の午前中に実施され、明石会一行も参加した。夜は台北の錦華楼で明石会主催の宴が開かれた。

慰霊式の様子

11月11日、午前中、かつて明石元二郎のお墓があった林森公園(記念碑)にて慰霊式を実施。来賓として台北市議会議員陳玉梅氏と玉金富里長の2人が参加した。明石が好きだった黒田節やヨーロッパ音楽などが演奏された。式は1時間ほど。約50人が参列した。

細沼初美さん、古川精一さん
教会は観客でいっぱいに

午後は台北市に移動し、新生南路にある天主教聖家教会にて、震災の義援金への感謝を込めた「謝謝! 台湾音楽会」を開催。バリトン歌手古川精一さん、ソプラノ歌手細沼初美さんなどが出演し、約20曲を熱唱。約1000人ほどの観客を魅了した。この様子は、翌日の中国時報や連合報に大きく報道された。

これで一行の公式行事も終了し、翌12日に帰国の途に着いた。